第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第6回 「山火事」

飛行中にたまたま山火事を目撃した話です。

 昭和46428日のことだったと記憶していますが、呉市の灰が峰で山火事が発生し、煙に巻かれた消防士多数(たしか1718名)が死亡した大事故がありました。その日私は要務でT34に乗り、防府から浜松へ行き、昼食後浜松からの帰路この山火事を目撃したものです。
 何故この山火事のことを覚えているかというと、実は同じ昭和46321に、防府の第12飛行教育団のT34が航法訓練の途中、新田原基地で墜落し、前席の学生が死亡するという大事故がありました。当時私の仕事は「安全班長」という立場で、指揮官の直属・専門幕僚として事故調査の現地責任者になっていました。約1ケ月にわたる調査結果をまとめ、B4300ページに及ぶ事故調査報告書を浜松の飛行教育集団司令部に届けるため,早朝防府を飛び立ったものです。

 防府・浜松問は約300マイル、約3時間の航程ですが、浜松での仕事を終え、昼食後前席に私、後席に先輩パイロットを乗せて河和一大津一岡山一岩国一防府のルートで、4500フィートで飛んでいました。岡山を過ぎると、野呂山がいい目標になりますが、その野呂山の向こうに何やら大きな煙が見え始めました。 「どうも火事らしいですね」「そうだね・・・」と後席のパイロットと話しながら見ていると、野呂山の向こう、灰が峰の山頂付近に火と煙が見えました。
 灰が峰上空を12回旋回して見るとかなり広範囲に燃えているのが解りました。時間は午後3時ころだったと思いますが、防府に着陸後多くの犠牲者が出たことを知って驚きました。T34ADFAutomatic Direction Finder 自動方向探知器)は、中波帯の受信機ですからラジオが聞けますが、その時もすぐチューニングノブを回して近くの放送を聞いたような気がします。

 練習機と救難捜索機で、日本全国を10000フィート以下、主として3000フィートで飛び回りましたが、山火事の現場に遭遇したのはこの時が初めてです。 新潟県の柏崎付近をMU2で飛行中、能登半島の東側の海上に竜巻が23発生しているのを見たことがありますが、これも日本では珍しいことなのでよく覚えています。残念なことにその頃の私はカメラを携行していなかったので、一緒に乗っていたクルー以外はこの記憶は共有できません。

 今は飛ぶ時にはできるだけカメラを持って行くようにしています。

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