第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第5回 「ブルーインパルス」

ブルーインパルスというのはご存じのとおり航空自衛隊のアクロバットチームのことで、初代のF86Fから2代目T23代目T4と機種は変わってきましたが、全国各地で展示飛行を行い素晴らしい演技を見せてくれるチームです。 今日はこの初代ブルーインパルスの練習を空中からゆっくり見せてもらった話です。

時は昭和
49年の秋ころだったと思います。当時私は新潟救難隊に勤務し、MU2の操縦講習を受けTR訓練もほぼ終わった頃の話です。当時の新潟救難隊はT34 2磯、MU2 1機、S622機の編成で、国定翼機をT34からMU2に機種転換の最中でMU2の技量向上が急務として練成に励んでいました。
 ある朝の飛行前点検で、たった1機しかないMU2の主輪のマグネシュウム合金合わせホィールに亀裂が見つかり、ホィール交換が必要となりました。補給系統で全国に照会したところ、浜松救難隊が同型ホィールを持っていることが分かり、正規手続きによる陸路の輸送では23日かかるので、急遽T34空輸することになり私が手を挙げて浜松に向かいました。
 新潟から浅間山、長野盆地、天竜川ぞいに南下し、浜松の北10マイルの二俣で浜松クワーにコンタクトするとこれから浜松基地でブルーインパルスの訓練飛行がはじまるので「ホールド二俣、メインティンVFR」と告げられました。かくして、はからずもブルーインパルスの演技を約10マイル離れた二俣上空1500フィートの上空からゆっくりと観覧する幸運に恵まれた訳です。

後席はMU2のホィールを積むため座席と操縦桿を取り外してあるので、文字通り私一人の特等席でゆっくりと煙草を吸いながら観覧しました。飛行場を離着陸するジェット機を見慣れた人でも、6機が編隊であるいは単独で低空を飛び回るとその迫力に驚くはずです。私の場合は距離が離れていて、T34のエンジン音もあるので、遠くから見るブルーインパルスは華麗な夢のようで、貴重な体験をしました。
30分間の極上の経験でした。

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