第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第28回 「冷暖房」           
 

1.レシプロ機

 一般にパワーに余裕の少ないレシプロ機の機内エアコン能力は低いものです。特に200馬力以下のレシプロエンジン機で冷房装備を持った機体はほとんどないと思っても良いくらいかもしれません。

昭和40年代の初めのある日、食堂で少し早めの昼食を取っていた私は「急ぎ団司令室へ来るように!」との連絡を受けました。飛行教育集団司令官であったS空将が視察に来た築城から浜松へ帰る予定・・が築城の天候が悪い為に“浜松のT−33”が出発できず、“うちのT−34”で防府から浜松へ直接お送りするよう命ぜられました。
雪模様の2月に非力なT−34での浜松往復なんて正直やりたくない任務です。とりあえずVFR(有視界飛行)オントップ(雲の上)で行けそうだと判断して岩国までVFRで行き、そこで雲の隙間を見つけてオントップに出ようという計画です。1万フィート(3000m)くらいで無事オントップに出て飛行していた時のこと、「キミ、寒いね。」とS空将が話しかけてきました。「はい、メンター(T-34)ではこれで精一杯なんです。更に今日はキャブヒーターを使っているのでコックピットの暖房は本来の半分程度になっています。御了承下さい。」そのときの外気温度は−15度でしたので事実寒かったであろうとは思いますが、空冷エンジンの暖房能力としてはまずこんなものでしょう。 

 冷房について言うなら、メンターは5000フィート以下&130ノット以下であれば前後どちらかのキャノピーは飛行中もオープ  ン可能なので、ときどき第二次大戦の映画のようにキャノピーを開けて飛んでいました。真夏でも8000フィートくらいまで行く  と少しは涼しくなりますから。 

2.ジェット機

 T−33、F−86Fはエアコンのコントロールノブをフルコールドにすると霧のような白い煙が噴出してくるほど冷房はよく効きました。MU−2S型はパワーに余裕が無く離陸時は冷房をオフにしていましたが、MU−2A型であれば冷房を付けたままでも離陸可能でしたね。日本が生んだ名機YS−11ですら離陸時は冷房を切っていたそうです。空自仕様の40人乗りYS-11でさえそうですから民間仕様の64人乗りYS-11ではどうしていたのでしょうね。

ジェット機の冷暖房の仕組みはジェットエンジンのコンプレッサーから圧縮空気を取り出して冷暖房に利用しています。MU−2型では冷暖房使用時には約30馬力が必要であるという資料がありましたから片発では危ないMU−2S型ではやむをえない措置かと思います。胴体容積の大きいS−62、V−107には暖房しか装備されていません。このV−107の暖房には燃焼式の発熱装置がついていました。これは大型のファンヒーターと考えればいいでしょう。


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