第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第26回 「ブルーインパルス U」           
 

1.F−86F

 F−86Fブルーインパルスについては昭和37年6月から12月の戦闘機操縦課程在籍中何度も見ています。2飛行隊はブルーインパルスの所属飛行隊なのでメンバーに教官として教えられていました。また、以前天竜川上流の二股上空で30分くらい空中からゆっくり観覧したことを書きましたが昭和45年に浜松の「上級飛行幹部課程」に入校中再び練習風景を見る機会がありました。その時は大阪万博のための「EXSPO」という文字を書く練習をしていました。

2.T−2

 昭和56年2月、入間基地でF−86Fブルーインパルスの閉隊行事が行われましたがその時私は空救団飛行群本部勤務中で救難幕僚として入間のベースオペレーション2階の総隊司令部飛行隊オペレーションにいました。まずF−86Fブルーインパルスが最後の演技を披露し、続いて非公式ですがT−2ブルーインパルスが演技しました。
私がT−2ブルーインパルスの演技を見たのはそれが初めてでしたが、T−2は旋回半径が大きいため何だか間延びしているなという印象を受けました。その後F−86Fブルーインパルスは防衛庁長官の部隊表彰を受け、当時第2飛行隊は第33飛行隊となっていましたが友人のT2佐が賞状を受け取るのを見ていました。

3.T−4

 T−4ブルーインパルスを見たのは芦屋航空祭だったと思いますが、T−4は小回りが利くので再びF−86Fブルーインパルスの感じが戻ってきたと感じました。

4.米軍

 昭和39年、小月航空祭で米軍のF−102、F−105の展示飛行を見ましたがいずれも単機でA/B(アフターバーナー)の威力を見せ付けるような垂直上昇をやっていました。昭和40年代、日本航空宇宙工業会主催で小牧と入間で三年ごとに展示会をやり、米軍のブルーエンジェルス、サンダーバードが展示していましたがブルーエンジェルスの使用機がF−4ファントムだったため騒音問題が起きて小牧での展示は一日で終わったことがあります。サンダーバードはF−5からF−16に変わったようですがアクロバットチームは第一線の戦闘機よりも軽快な動きのできる軽戦闘機か高等練習機のほうが見栄えがするようです。F−15を見たのは昭和51年ころの入間の日本航空宇宙工業会の展示のときでやはり垂直上昇を見せていました。


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