第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第25回 「鈴鹿超え」           

 

昔の航空路G−4(グリーン4)は瀬戸内海を通る銀座通りとして交通量も多い航空路でした。防府から浜松、入間方面へ向かうときは防府、岩国、高松、信太、河和、浜松、大島、入間と飛びます。最低安全高度は瀬戸内海で5000フィ−トでした。非力なT−34メンターにとっては鈴鹿山脈を越えるのが一仕事だったわけです。

ある冬の風の強い日、浜松への要務飛行を命ぜられ防府を出発しましたが1万フィートまで上昇しても鈴鹿山脈が越えられません。やむなく潮岬まわりで飛ぶことにして紀伊水道を南下して串本を見ながら左旋回して「那智の滝」を眼下に見て浜松を目指しましたが、5000フィ−トで30ノットの北西の風で編流角30度という蟹の横ばいのような飛び方で予定より30分遅れで浜松に到着しました。

さて、その帰路ですが13:00ころ浜松を離陸して津あたりから鈴鹿山脈の谷間を縫ってなんとか抜けようと努力しましたが天候はスノーシャワー交じりで悪化しつつあるようでした。これ以上谷間を飛ぶのは危ないと判断して少し東へ引き返し雲の切れ目を上昇してとにかく雲上へ出ることにしました。雲上へ出て西に向けて飛びましたが雲のトップが段々高くなり、ついには14000フィートまで上昇しました。

私は後席に乗っていましたが時々雲の切れ間から見える地上の風景がほとんど変化していないのに気づきました。対地速度は80ノット以下と思われ、浜松を出てから1時間近くも鈴鹿山脈と苦闘していることになります。ここで燃料不足になれば徳島で給油するしかありませんが徳島はかなり寄り道になります。鈴鹿を越えたら高度を下げようといいながらなんとかギリギリの残燃料で防府に帰投できました。かつてのG−4(グリーン4)はV−28となって岩国、岡山、大津、と飛びやすくなっているようです。

 防府から入間へ向かうときもう一つの難関は箱根越えです。天気のいいときは海岸沿いに飛んで沼津、三島を越えればやがて江ノ島が見えてくるというわけです。箱根から天城山にかけては雲が発生していることが多く、どうしても越えられないときは伊豆半島を南下して石廊崎まわりで行くしかありません。私も二、三度石廊崎まわりを経験しています。

人類が地球の引力に抗して空を飛ぶということは神の摂理に背くことですから機体・エンジンの整備はもちろん完璧を期し、ルールを守り謙虚に自然と向き合うことが大事です。とにかく天気にはかてません。



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