第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第21回 「気象 ”全般”」           

飛行機が空を飛ぶことと気象は切っても切れない関係にあります。日本には四季があり、季節によっても対処法は変わってきます。過去に気象判断の誤りが原因と思われる航空事故が多く発生しています。誰かの言葉に「賢者は他人の経験に学び、愚者は自らの経験にしか学ばない」という警句があります。パイロットが危ないことをいちいち自ら経験していては命がいくつあっても足りません。年寄りの勤めとして過去にいろいろ見聞した他人の愚行を紹介して安全なパイロット人生を歩んでいただきたいと思って今回は気象に関する安全対策のあれこれを紹介してみたいと思います。

 昭和38年、山口県防府市の第12飛行教育団で新米教官パイロットとして飛び始めましたが、自分の事務所に行く前に毎朝7時30分ころにはウェザーステイションに顔を出し、その日の訓練内容と空域の天候がふさわしいかをチェックしていました。勿論出勤前にもテレビの天気予報は必ず見てその日のおおまかな天気の動きを把握していました。
 飛行隊のウェザーブリーフィングは8時から始まり、その後学生に対するミッションブリーフィングをやり、9時には離陸するという毎日ですが、午前中に2回のフライトを終わり、予報官のところに行って朝聞いた予報と実際の天気はこう違っていたと言いに行くと朝ブリーフィングした予報官はすでに帰宅していて、がっかりしたことがあります。

 自分の学生の教育をしながら部下の4機分の訓練空域の天候のことを常に考え、天候が悪化して訓練効果が上がらないと判断したら私のコースの訓練を中止して「○○コースは訓練を中止する。全機帰投せよ」とやっていました。飛行時間800時間余、27歳ころの生意気盛りで自信にあふれていたころの話です。
 飛行隊と気象隊との間には天気現象を直接空中で観察することが必要なときは、気象隊の要求によりいつでも飛行機に乗れるようになっていましたが、何故か予報官は飛行機に乗るのが嫌いな人が多く、滅多に乗せたことはありません。昭和53年、芦屋救難隊の飛行班長時代に大学の後輩の気象隊長が突然電話してきて「澤井さん、いま西の方に出てきたタワリングキュムラスを近くで見たいからすぐ飛ばして下さい」と言ってきました。すぐMU−2を準備して対馬の方向に向いました。
 雲に近づくと発達中の巨大な積乱雲でおそらくトップは3万フィートはありそうで、MU−2では到達できません。雲はなお発達中で、生き物のようにモクモクと動きながら上へ上へと盛り上がっていました。しばらく周辺を飛んで雲を観察しましたが、気象隊長は満足したようでした。

 生きた気象を一番よく知っているのはパイロットだと思いますが、時に判断を誤り気象に翻弄されて最悪の場合命を落とすのもパイロットです。私は飛行機を降りたら予報官をやろうかと考えたこともあります。
 冬の日本海側と太平洋側の天気の明確な差、四季に応じた特有の気象状態等ハワイやカリフォルニアとは違う気象をよく理解して飛びたいものです。

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