第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第20回 「気象 ”風”その2」           

昭和58年秋、新田原救難隊長時代に強風の中でヘリを飛ばした話です。

その年の何個目かの台風が通過した直後、JRの保線区員2名が線路の点検のため防護柵のない日豊線の鉄橋上を点検中に風にあおられて1名が一ツ瀬川に落ちて流されたので、急いで探して欲しいという要請がありました。電話の相手は地元の新富町役場の課長で、実は少し前に飲み屋で知り合い名刺を交換し、災害派遣は一刻を争うことが多いので直接私に電話して下さいと言ったばかりでした。

白衛隊法では災害派遣の要請ができるのは、県知事、海上保安本部長、空港事務所長のみで町から県庁の消防防災課、県知事、基地司令、救難隊長と命令が出されます。ただ、手続きを踏んでいては助かる命も助からない可能性があるので、情報は早いほどいいわけです。台風の通過直後ですから時々強い風が吹いており、役場の課長がせっかく通報してくれたのにこれは難しいなと思ってヘリの先任パイロットを呼んで相談しました。ヘリの先任パイロットは気象隊に風向、風速を確認し、「隊長、やりましよう、大丈夫です」と言ってくれました。「よし、お前がそう言うのならやろう、すぐ準備してくれ」と命じました。急いで格納庫から引き出したヘリがローターを回し始めると、驚いた基地司令が「澤井、何やってんだ!」「実はこれこれは災害派遣の可能性がありますので手続きの方をよろしくお願いします」「大丈夫か?」「はい、大丈夫です」。救難隊長は隊員の練成訓練については権限があり、災害派遣の命令権者は基地司令ですが、専門的なことは救難隊長にまかされることになっています。

隊員は訓練よりも実任務の方がやりがいがあると張り切ります。災害派遣は自衛隊の行動であり、航空法上のいろいろの制約(最低安全高度以下の飛行、場外離着陸、物量投下等)が適用除外になり相当自由がききます。 正式な命令が出るまでは隊長権限による訓練、命令が出たらその時点から災害派遺と割り切って「ホバリング移動で河口までの精密捜索をやれ」と命じて発進させました。前にも書きましたが、V-107のローターの嵌合(クラッチをつないでエンジンの回転をローターに伝えること)は40ノット以下なら可能となっていますので機長は喜んで飛んで行きました。日没までクルーを交替させながら捜索しましたが、結局この遭難者は発見できず、1週間後に対岸の八幡浜の海岸で発見されたそうです。

それにしてもあのV-107の大きなローターが40ノットもある風の中で正常に回っているのですから驚きです。ヘリコプターは歯車とローターという回転体の化け物で、8トンの重量を二つのローターで空中に吊り上げ、しかも前進、横進、後進も可能といいますから面白い乗り物といえます。固定翼機は直進か旋回か上昇か降下しか出来ませんから考えてみれば退屈な飛行機です。魅力は高速が出せることと、Gをかけるぐらいでしようか。

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