第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第19回 「気象 ”風”その1」           

昭和49年秋、新潟救難隊の安全班長のときに佐渡のレーダーサイトから基地防空演習の標的としてメンターを飛ばして欲しいという要望がきました。当時新潟救難隊でメンターの飛行時間の一番多かった私が行くことになりました。後席にジェット戦闘機出身の若いパイロットを乗せて出発しました。佐渡のレーダーサイトは北側の大佐渡山脈の一番高い山、金北山にあり日本海に睨みをきかせていますが、訓練は大佐渡山脈の麓にあるベースキャンプの方でやるとのことで、西風の強い日だったのですが構わずキャンプめがけて突っ込んで行きました。山陰にはいると途端にものすごい気流にあおられ、操縦桿が手の中からすっぽ抜けてしまいそうな強烈な揺さぶりに遭いました。

 考えてみれば強い西風を受けている山の風下側に入ったので強烈な吹き降ろしの中で翻弄されたのは当然ですが、後席のパイロットも驚いていました。それでも強引に3〜4回の攻撃動作を繰り返し、そのたびに地上の対空機関砲がメンターを追跡していました。
 メンターはアクロバットのできるA類で、下手な学生の使用を考えて頑丈に作られていますので問題はありません。
 昭和55年秋、松島基地で航空救難戦技競技会を終えて入間に帰るためメンターに乗り込みました。後席は若いヘリのパイロットでV-107の双発に対してメンターの単発エンジンを怖がっていつもは避けていたのですが、他に交通手段がないのでしぶしぶ私のメンターに乗ってきたものです。当日の松島は西風が強く、ジェット機は訓練を休んでおり、私は短い予備ランウェィの西向き離陸を希望し、ラシウェィ30に入りました。
 風は、300度30ノットでちょっと加速するとすぐ浮き上がるほど強い風でした。
 海岸線を水戸あたりまで南下し、内陸部に入って入間に帰りましたが、後席のパイロットはヒャッとか、ギェーとか絶叫していましたがそのうち疲れて黙り込んでしまいました。防府のランウェイは12/30で、メンターの横風制限は真横成分が20ノットで比較的横風に強く、サイドスリップさせながら片足着陸はいつもやっていました。

 一般に地上風の影響を避けるには山などの高さの1.5倍の高度を取る必要があると言われています。セスナのような軽飛行機は風の強い日にはなるべく山の風下側に入らないような経路と高度を保って飛行するのが安全です。
ヘリコプターは、V-107の場合40ノット以下なら飛行可能です。ヘリは常に風上に向って離陸できますから風向はあまり関係ありません。あの大きなローターの嵌合(クラッチをつないでエンジンの回転をローターに伝えること)可能風速が40ノットということです。

 飛行機が空気というこころもとない気体の中を飛んでいる限り風を無視するわけにはいきません。航法では特に重要で、目的地に正確に到着するためには風を正しく読み必要な進路修正をして飛ぶ必要があります。離陸時の大型機の後方乱流、着陸時の小さな乱気流も修正しなければなりません。

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