第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第17回 「気象 ”雪”その1」           

以前にも書いたことがありますが、雪についてはいろいろ経験しています。

 昭和49年秋、新潟救難隊に2機目のMU-2が入ることになり、まず使用期間の終わったメンター1機を防府の第12飛行教育団に返却し、新田原のMU-2が防府まで迎えに来て翌日新田原のMU-2を新潟に持ち1帰るというミッションでした。 メンターの後席に若いパイロットを乗せ、日本海の海岸沿いにのんびりと南下して津和野から懐かしい景色を眺めながら防府に着陸しました。

 翌日、出発の準備は整ってフライトプランも出来ていましたが、新潟の天候が悪くなかなか出発できません。昼ごろにしびれをきらした隊長からとりあえず名古屋まで帰って様子をみようという命令がきてVFRで名古屋に向いました。名古屋からはIFRで帰られるという判断で午後4時過ぎに離陸しました。経路は名古屋、福井、小松、新潟で9000フィートのクリアランスがきました。小松までは雲に入ったり出たりの状態で問題はなかったのですが、イトイポイントからは完全な雲中飛行で着氷が始まりました。冬の午後4時は日が暮れ始めており、気温はマイナス15度、外は暗くひたすら新潟目指して飛びました。新潟上空でADFアプローチのクリアランスをもらい、降下を始めましが前面ガラスの着氷は一向に取れません。コパイは防氷装置を手動で操作していますが効果はありません。5000フィートくらいでランウェイに正対するための降下旋回を始めましたが、まだ氷は取れません。このままではランウェイが目視できず、着陸が危ぶまれます。翼前縁の着氷は5000フィートくらいで取れましたが、前面ガラスの着氷は2000フィートくらいでやっと取れてなんとか着陸できました。
 セスナクラスの軽飛行機には防・除氷装置はありません。それだけパワーに余裕がないからです。ただ一つあるのがキャブレターデアイサーで、これは排気管の外側に巻いたチューブの中を通った空気(暖気)をキャブの吸入口に導いてわずかでもキャブアイシングを防ごうという原始的手段です。キャブの吸入口の細くなったところ(スロート)を空気が通ると気温が下がりスロットルバルブに着氷する可能性があります。この現象は気温がマイナスでなくても起きるので、キャブデアイサーは早めに使う必要があります。

 昭和40年代、海上自衛隊小月基地のSNJ(T-6テキサンと同型)の学生互乗訓練でエンジンが停止して秋吉台に不時着した例があります。後に原因はキャブアイシングであろうと発表され、教官パイロットが処罰を受けたそうです。 ジェット機は速度が速いので翼前縁に氷を形成しにくく、翼の除氷装置はありません。 コックピット前面には強力なホットエアを吹き付ける構造になっています。C-1輸送機は最大速度440ノットのジェット機ですが、翼前縁には電熱線が埋め込まれていると聞きました。

雪雲を見たら避けるのが賢明です。

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