第一飛行クラブ 広島 グライダー

この記事は、元自衛隊教官で、長年航空自衛隊に勤務され多くのパイロットを育て上げられた澤井さんに、「これまでの経験を後輩パイロットにぜひ教えていただきたい」とお願いし、特別に寄稿していただいたものです。
現在は、退官され第一飛行クラブ広島で趣味として空を楽しんでおられます。
お忙しい中、記事を書いていただきました澤井さんに深く感謝いたします。
(C) First Flying Club HIROSHIMA  2001

第1回 「着氷」

私は昭和12年に広島市で生まれ、昭和31年海田高校を卒業後、防衛大学校に入学し、昭和35年卒業と同時に航空自衛隊に入隊して以後パイロットの道を歩み、主として練習機の教官、救難捜索機のパイロットとして31年間で約5,300時間飛行しました。 機種は、T-34 (メン夕―)、 T-6 (ノースアメリカンテキサン)、 T-33、 F-86F、MU-2、T-3 (メンター改)と6機種乗りました。
航空救難団に11年いましたので、操縦は体験程度ですが、ヘリコプターの運用についても十分承知しています。  昭和48年8月、10年間勤めた練習機の教官から新潟救難隊に転勤となり、 MU-2の操縦資格も取ったばかりの頃の実際に体験した恐怖の着氷についてお話ししたいと思います。

昭和49年にMU-2の操縦講習を受け、部隊でのTR訓練(実用的な訓練をして作戦行動可能なパイロットを養成する訓練)も終り、教官操縦士としての訓練もほぼ終わったころ、昭和51年の1月か2月だったと思いますが、新潟から名古屋までの人員輸送任務で飛んだ時のことです。コパイは、私より若いがMU-2の飛行経験は多いO一尉、後席に名古屋に出張するM一曹とラジオマンの三曹が乗っていました。
経路は新潟、小松、福井、名古屋で、距離240海里、高度は8000フィートをリクエストしていました。天侯は、裏日本特有の雪模様で、IFRでなんとか行けるだろうと判断していました。新潟クワーからのIFRクリアランスは、経路が込んでいるので、「ドウユゥ アクセプト フライトレベル160(16,000フィート)」というものでした。
T-34に比ベれば格段の性能のMU-2ですから、深く考えもせず、コパイもOKとうなずいているので「ウイ アクセプト フライトレベル160」と応答して出発しました。MU-2は、ご存じのとおり三菱重工がアメリカ市場を狙って開発したビジネス双発機で、高速性能を売り物にしている飛行機で、240ノットで飛行できます。ビジネス機として使っているぶんにはいいのですが、航空救難団はこの機体に無線機3種類、航法器材3種類のほかに遭難者の位置表示のための火工品も積んでいるため早い話しがオーバーロードで飛んでいるのが実情です。MU-2にはS型とA型があり、その時私が乗っていたのは古いS型で、605馬力の双発、後に乗ったA型は665馬力で、わずか60馬力の差ですが、性能は格段に違います。
雪雲の中をうんうんいいながら16000フィート目指して上昇しましたが、10000フィートを越えると500Feet/分くらいしか上昇できません。新潟・小松間の中間点に「イトイ・ポイント」というところがありますが、これは北アルプスが日本海に接するところで、夏冬通して雲が沸き、天候の悪いところです。
雲に入って間もなく、翼の前縁、エンジン・エアインテークに氷が付き始めました。もちろん離陸直後から全ての防・除氷装置のスイッチは入れてありますが、それでも翼前縁の氷は徐々に厚くなってきました。外気温度は、-15℃、I・A・Sは計算では170ノット出る筈ですが、フルパワー、フル回転にしても速度は徐々に下がって130ノットくらいになって来ました。防・除氷装置を使うとかなりパワーを取られるのは知っていましたが、いささか不安になって来ました。
ちなみに、MU-2の防・除氷装置は、キャノピー前面のウォッシャー液、翼前縁のブーツ式除氷装置、エンジンインテークにホットエアーを送る装置、プロペラ前縁の電熱ヒーター、ピトーヒーターがあります。翼前縁からはがれた氷片が機体に当たるカーン、カラカラという音も聞こえます。そのうち、ストールウォーニングの音とシェーカーの作動も始まりました。コパイは、普段自動モードで使う翼のブーツの加圧スイッチを手動に切り替え、頻繁にブーツを動かしていました。イトイポイントは、新潟と小松のちょうど中間で無線の交信もとぎれがちです。
当時、新潟にはアプローチ・コントロールがなくクワーから横田に連絡して計器飛行許可が出ていました。小松はUHFで、VHFより到達距離が短く、「ウイ アー ヘビィー アイシング、リクエスト ロアー アルチチユード」といくらコールしても返事はありません。エアスピード120ノットを保つのが精一杯で「これ以上着水がひどくなったらエマーコールをして高度を下げるぞ」といいながら飛びました。後で考えると、実際ひどい目に遭った時間は10分か15分くらいだと思いますが、イトイポイント付近は怖いところだと改めて認識しました。やっと小松レーダーとコンタクトが取れて、徐々に低い高度に下ろしてもらい事なきを得ました。
文章に書けば笑い話ですが、当時の私は自然の力をおおいに肝に銘じました。その後も1〜2度、着氷は経験しましたが、またの機会に譲ります。考えて見れば、コパイも百里と那覇の勤務が長く本当の寒冷地運用の経験は少なかったようです。それにしても「MU-2は全天候性能がある」と誰が言ったのか、うかうか信用できないというのが私の感想です。
MU-2は、高速飛行のために色々工夫してある機体ですが、飛んでいる姿はあひるか鷲鳥のようで、決してカッコイイものではありません。翼面荷重を大きくして高速時の余分な揚力を出さない替わりに低速時の操縦性がやや鈍く、ほぼ全翼巾にわたるフラップをつけたため、横操縦のためのエルロンが付けられず、スポイラーで横操縦をしています。脚は極端に短く、重心位置の閑係で、着陸時ノーズを支えることが難しく、ドカーンという接地になることが多いようです。

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